2005年08月28日

小坊主ショット集Ver.1.2
久しぶりの八十八カ所巡礼。早朝出発なのでもう大変。でも大変なのは車に乗るまでで、車に乗ってからはたまに姿勢を変えながら寝続けるだけだ。案の定ぐーぐー寝ていたら知らないうちに一つ目のお寺。山の上と言うこともあり、思ったより涼しかった。そしてなんとも心地よかったのが蝉の鳴き声。この夏大阪ではクマゼミが大量に産まれたらしく、私は来る日も来る日も「しゃわしゃわしゃわしゃわ!」という鳴き声ばかり聞いていた。しかもテンポが速いので謎に私まで焦ってしまう。ところが山の方にはクマゼミがいなくて、「みーんみんみんみ~ん」とか「じーーーじーー」など、ゆったりと鳴く蝉が幅をきかせていた。「閑さや岩に染みいる蝉の声」の蝉は絶対にクマゼミではなかったはずだ!と思いたち、ちょっと調べてみると以下のようなページを見つけた。
なんと山寺の蝉論争というのがあったようだ。それによると、芭蕉が言う「蝉」はニイニイゼミとのこと。やっぱりクマゼミではなかったのだ。芭蕉も絶対クマゼミの鳴き声は岩に染みいることはないと思っていたに違いない。
私の四国八十八カ所巡礼の大きな目的は、全部のお寺にいる(はずの)小坊主を写真におさめることである。これまでの巡礼中、いないという状況に何回も直面した。今回もすべてのお寺にいるかいないか、とても不安だったのだけど、なんとかすべてのお寺で小坊主を発見することができてひとまず安心。しかしながら、本堂にいたのは六つのお寺中三カ所。それ以外は大師堂でなんとか発見した。やっぱり本堂においておいて欲しい。私なりに小坊主がいるお寺といないお寺の違いを考えてはいるものの、未だ明確な答えは出せないでいる。プライドが高そうなお寺にはない、という仮説が今のところ有力ではあるが、偏見な気がしなくもない。
今回撮影した小坊主を含んだ「最新小坊主ショット集(Ver.1.2)を以下に掲載。評価について再度確認すると、「ランク」は本堂までの距離。1は楽勝、5は死にそう。評定は私とママンの二人の訓練されたコーダーにより行われた。評定者間一致率はκ=.95くらいはあると推察される。評価が一致しない場合は、話し合いにより決定した。「トイレ」は○か×かが基本。加えて、それ以外の情報もたまに入っている。
2005年05月04日

仏教がしっくり来るワケ
私は仏教徒かどうかと聞かれるとおそらくそうではない。ただ、数ある宗教の中で一番親近感がわくものはどれですか、と尋ねられると迷わず仏教と答える。その理由について、忘れないようにちょっと記述してみよう。ちなみに当然ながらそんなに詳しくないので、私の一方的解釈によるもの。
まずは仏教の歴史観がしっくりくる。キリスト教やユダヤ教は歴史を「終局へ向かう直線的なもの」として捉えるようだが、仏教は「輪廻思想」、つまり歴史を「繰り返すもの」だと考える。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の発祥に関連する神々や預言者達の系統図の書き方を見ても、その終末思想的歴史観が見て取れる。私なんかは上から下へと流れるものをすぐに思いつくのだが、それが反対。下から上へすすんでいく。これは「木」がイメージされていて、はじめは根をはり幹が育ち、枝ができていってそこに葉がはえて、最後は何もなくなる、という感じらしい。うーんどうもしっくり来ない。なんで無理矢理世界を終わらせようとするのだ。
次にしっくり来るのはブッダの死に方だ。ブッダはどうやら道行く途中でもらった食べ物にあたって死んだらしい。つまり食中毒だ。すごく普通で人間っぽいし、死に方にカリスマ性は微塵も感じられない。磔にあったキリストなんかと比べると雲泥の差である。
あとは一神教ではないというか、唯一絶対の神という存在がないところがしっくり来る。神がいないとどうやって道徳心を学ぶんだ、とキリスト教徒やユダヤ教徒の外国人は驚くらしいが(山本七平氏の本に書いてあった)、それは生活の中で学んでいけば良い。ゴミはゴミ箱に捨てようとか、お年寄りには席を譲ろうとか、別に神様にアピールしているのではない。
というような理由で私は若干仏教に肩入れしている。といっても厳しい「戒律」とかは怠け者なので苦手だ。そういう意味では仏教もキツイところがある。これから毎日精進料理と言われると泣き出すかもしれない。もし今後「あなたの宗教は何ですか」と聞かれるとなんと答えようか。うーん… 残された道はShintoismか?宗教と政治の話はどうやら避けた方がよさそうだ。どうもこれといった信念に欠けている。
2005年04月24日

参拝手順覚書
私はもっぱら両親にくっついて四国88ヵ所を巡礼するわけだが、半分ほど同行した中で色々と参拝の手順を覚えた。最近忙しくて巡礼がストップしているので、忘れないようにメモしておこう。
●お寺に到着。歩き遍路の方からすると邪道かもしれないが、車で。そして車の中で両親はお遍路グッズを装着(白衣+菅笠)。私は首から輪袈裟を掛けて、山谷袋を肩にする。そしていざ山門へ。
●山門で一礼する。そして水場で手と口を清めるのだが、私は手だけ洗う。タオルがかかっているので、父親に教えられたとおり上のほう(=濡れてなくて快適)で手を拭く。ちなみにひしゃく(?)にはプラスチック製のものと、持つところが木製で水をすくう部分はアルミ(?)製のものと2通りある。私はなんとなくだが常に後者のひしゃくを使う。
2005年04月15日

キティちゃん
四国88ヶ所を巡っていると,お寺ごとに沢山商品を売っている事に気づく。あるお寺では,キティちゃんに○○寺と書かれたストラップが売っていた。「いったい著作権はどうなっているんだろう…?」と思い、ストラップを手にとってじーっと考え込んでいると、納経帳に書いてくれるお寺の人に「あんたの年になってもキティちゃん欲しいんか?」と聞かれた。きー!「いえいえそうじゃないんです。沢山キャラクターものの製品が並んでいますが、どうも著作権表示がぱっと目に付かないのでどうなっているか考えていました。」というとケンカが始まると思い、「なはは」といってその場をやり過ごした。
でもちょっと待てよ。四国88ヶ所の巡礼中は、私が観察する限りではお年をめした方に遭遇することが多い。子供が納経帳を持って蝋燭とお線香に火をつけ、納札入れに「来ましたよ」というお札を入れて仏説まかはんにゃはらを唱えているのなんて見たことがない。つまりそういう場所にキティちゃん商品があること自体マーケティング的にどうなのかいささか疑問を持つ。さらに言うと、私の年齢は巡礼中の人の中ではそんなに上のほうではないはずだ(平均値マイナス2SDくらいは下のはず)。「あんたの年になってもキティちゃん欲しいんか」という発言は、通常お土産(寺名入りのキティちゃんストラップ)を買っていくだろう人たちの年齢を考えると非常に矛盾しているように感じる。
それにしても仏教までキティちゃん頼みとは、なんとも日本は不思議な国だ。そのうちキティちゃんが仏になってしまった「キティde仏像」なんていう商品も出てくるかもしれない。
2005年03月30日

宗教比較
一時期旧約聖書とか新約聖書とか、キリスト教とかイスラム教とかユダヤ教とか、一体なんだと思ってちょっとだけ調べたことがある。忘れないようにメモしておこう。ちなみにほんの少し調べてでた結論は「仏教以外出所は同じじゃないの?」である。こんなこというと詳しい人に怒られるだろうが、私のわかる範囲では違いはわからなかった。ユダヤ教とキリスト教は本当にほとんど一緒だ。救世主をイエスにしたのがキリスト教でそうじゃないのがユダヤ教。旧約聖書は神との古い契約の意を表すユダヤ教のもので、新約聖書はキリスト教のものらしい。ただ、決定的に違うのはユダヤ教徒は全員ユダヤ人なのと(だからシャーロットはユダヤ人)、ユダヤ教にある選民思想(最後の審判で自分たちだけ助かる的思考)、さらにユダヤ教がモーセの十戒を結構厳しく守っていることくらいだ。偶像崇拝とか安息日とか、確かに守っているっぽい。その一方でキリスト教なんてものすごい偶像崇拝だ。ちなみにモーセの十戒は
第一戒 ヤハウェ以外のいかなるものも神としてはならない。
第二戒 偶像を拝んではならない。
第三戒 神の名(ヤハウェ)をみだりに唱えてはならない。
第四戒 安息日を覚えて、これを聖別せよ。
第五戒 父母を敬え。
第六戒 殺すな。
第七戒 姦淫するな。
第八戒 盗むな。
第九戒 隣人に対して、偽証するな。
第十戒 隣人のものを欲しがるな。
最後のなんて私は無理だ。隣の芝はどうしても青く見えてしまう。つまり何が言いたいかというとユダヤ教とキリスト教は多分ほとんど一緒ということだ。キリスト教はユダヤ教に比べると厳格ではなく、選民思想などもない、というのが世界宗教となった理由の一つであることは間違いないようだ。問題はイスラム教だ。なんとイエス・キリストはイスラム教では預言者の一人らしい。どうやら根っこの部分はつながっているようだ。なんだか全く激しく違うように見えるが、ここのあたりはまだいまいちよくわかっていない。根っこが一緒なのに仲が悪いのはやはり民族の歴史なんだろうか。聖地が色々かぶっているのも問題だ。島国日本で生まれ育った私には皆目見当がつかない。
仏教の方がまだわかりやすくていいや。
ぎゃーていぎゃーていはーらぎゃーてい はらそうぎゃーていぼじそわか(ぱぱんが唱えているので覚えた般若心経の最後の部分。宇宙語らしい。)でも般若心経の「照見五蘊皆空」は私には理解できない。執着を捨てろといわれてもいろんなことに執着してしまう。やっぱりまだまだ宗教はわからないということがわかった。
終わり。
2005年03月29日

小坊主ショット集1
ひとまず今まで行っているのが多い1番から44番までを掲載。評価基準は「本堂までどれだけかかるか=ランク:5件法だが0.5水準まであり」と「トイレの様子=トイレ:○か×が基本。×はやめておいた方が無難を示す」だ。凡夫はどうしてもこういう所が気になってしまう。
2005年03月27日

四国88ヵ所めぐり
四国88カ所を巡っていた時、非常に気になる奴らがいた。小坊主だ。納経所と大師堂、本堂に必ずと言っていいほどいる。何でも集めるのが好きな私は考えた。「そうだ小坊主ショット集をつくろう」。目標は小坊主88人をすべて写真におさめることなのだが、お寺中をくまなく探してもいなかったりする時がある。ちゃんと88カ所協会(あるのか謎)で小坊主を置くことを決めたのなら決まりを守っておいてほしいものだ。小坊主を軽んじてはいけない。なぜなら、写真を撮っているといろんなバージョンがあることに気づくし、小坊主の扱い方の違いやお寺の歴史も感じて非常におもしろいのだ。近々現時点で収集している小坊主ショットをアップすることにしよう。


【コレに関してはしっくり来ない】
