2005年07月13日

細木数子論が崩れ去った時

私は2年ほど前(つまりテレビでよく見かけるようになった頃)から、細木数子の猛烈な信者となっていた。ちょっと古きよき日本的な思想の持ち主だし、強引にあの目できついことを言われると、なんだか信用してしまう。単純だからそういうのにすぐ騙されてしまうのだ。私は金星人マイナスで、昨年から大殺界。今年は大殺界中の大殺界。しかも月運まで「停止」になる9月はかなり危険だ。去年の大殺界1年目の9月が結構酷かったので、最近までかなり細木数子信者だった。

しかし、しかしである。とうとう彼女の論理が破綻していることに気づいてしまった。それは以下の記述に集約される。

大殺界のときに活躍したり、また地位が向上したりしたとしても、最終的に大成できないばかりか、何らかの理由でその途上で挫折や断念を余儀なくされるのが「六星占術」の法則です。(平成17年度版:六星占術による金星人の運命Pp.22)

細木数子は1年に1冊各星人ごとに「その年」の運勢を占う本を出している。つまりロジックとしては、1年ごとに、また月ごとにどのような運勢なのかを占う、もしくは予測するのだという視点が前提となる。ゆえに、大殺界のときに活躍したり、ポジティブなフィードバックが戻ってくるような事象を経験するということ自体、あってはならないのである。ましてやその後の「達成」や「立夏」などの年に、以前の大殺界の影響を受けてネガティブな経験をするなんて、もってのほかである。それでは六星占術(少なくとも1年1冊出版の本)が「1年を単位とする」ことを否定することになる。

もしこのような因果関係を仮定するのであれば、12年間(六星占術でいう運命周期の単位)で1冊の本を出すべきなのだ。

ものごとの因果関係は、結局は当事者の認知のしやすさや都合のよさによって決定されることが多い。今、自分にとってネガティブな出来事が起こったとして、その原因を探っていく時、「大殺界のあの時のアレか!」という帰属をするように誘導されるのであれば、いくらでも誘導されてしまうであろう。でも、そういう帰属をするよりは、もっと直近の事象に原因を求めるほうがはるかにリーズナブルであるように思う。

例えば、自分の子供が犯罪を犯したとすると、「育て方に問題があった」ことに原因を求めるほうが、「あの人と結婚して子供を産んだ」ことに原因を求めるよりはるかに説明率が高いのではないかということだ。もっと遡ろうとすれば「あの日あの時あの場所で君に逢わなかったら~」まで遡れてしまう。そうするともう何がなんだか分からなくなってしまう。

さらにさらに、細木数子は誕生日で6つの類型に人を分類する。プラス、マイナスを入れると12カテゴリーだ。これは、実は星座のカテゴリー数と一緒。同じ12カテゴリーなのに、星座より数子を信じがちなのは、分類される過程が複雑だからだと考えられる。でもいくら複雑といったところで、人間を12カテゴリーに分類すること自体は星座と全く同じである。

細木数子敗れたり!などと勝手に妄想がふくらんで勝手に勝利したつもりでいるのだが、またテレビで「ほんとのこといっていい?」「あんた地獄に落ちるよ」などという数子の威圧的な発言と自信たっぷりの表情を目にしてしまうと、手元にある「17年度金星人の運命」をパラパラめくって自分の運勢を必死に確認するに決まっている。そして次の日、周囲の人に「聞いて聞いて昨日数子がね数子がね」とおしゃべりするだろう。論理的か否かは置いておいて、発言している人のバックグラウンドや特徴は、説得的コミュニケーションにおいて絶大な影響力をもっている。やっぱり勝てていないのかもしれない。

Posted by ayaM at 2005年07月13日 02:15
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.bo-peep.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/92

コメント
メールアドレスの記入が必須ですが、表示はされません。




保存しますか?