2005年07月30日

手荷物への固着
私は周囲と比較すると、自分の手荷物を常に自分とともに行動させようとする人間らしい。本日はじめて訪問する場所で会場設営などの作業を手伝っていたのだが、部屋間を移動する際や挨拶に行く時、周囲が自分たちの手荷物をそのまま部屋に置いているのに対して、私は常に持ち歩いているという事実に気づいた。ロッカーがあるのならそこにおかせてもらうが、どうも知らない場所で、誰でも入ってこられる状況下で荷物を自分の傍から離れたところに置きっぱなしにするのは不安で仕方ない。
以前新幹線をホームで待っているとき、近くに立っていたサラリーマンがジュラルミンケース風の自分の手荷物をホームに置き去りにしたままどこかへ行ってしまった。別にホームに列ができていたでもなく、人もまばら状態なので、荷物で陣地取りしているわけでもない。「げげげ爆弾?」と一瞬あわてふためき、そのサラリーマンがいったいどこにいるのか、あたりをキョロキョロ探しまわった。探しに探した結果、彼は駅のキヨスクでビールとかっぱえびせんを買っていた。そのとたん脱力。「心配させやがって!きー!」と勝手に腹を立て、その手荷物をキックしてホームに落としたくなる衝動に駆られた。実行に移してしまうと私は通報されるか、手荷物の所有者であるサラリーマンにこっぴどく怒られてしまうだろう。しかしながら自分の荷物を放置する以上、その荷物がどうなっても何も文句は言えない、ということだけはなんとなく分かって欲しかった。
元来、日本は安全であったし、今も他国と比べると安全な国のひとつと考えられることが多い。国民性及び民族性に関しても、江戸時代の頃から、ユダヤ人が自分の家族にさえ財産に関する情報を分散させて伝える一方で、日本人は外から丸見えの縁側でぐっすりのんびりお昼寝を満喫していた。とイザヤ・ベンダサンもとい山本七平氏が言っていた。私は日本人なので当然ぐっすりのんびりタイプだ。ぼ~っとしているし、スキも多い(らしい)。だけど、どうも「Take your own risk」という考えかたについては敏感である。荷物がなくなってしまった後に文句を言ってもおそらく荷物は帰ってこない。それならば、せめてなくなった時にある程度自分を納得させられるよう、注意を払っておきたい。
まとめると、どうやら私は他者に対する一般的信頼感が低い+怖がりなようだ。最近では、前方から向かってくるおじさんが片手にしていた柄のついた細長い物体が出刃包丁に見えて、「ひ~!私の命もここまでか…」とビクビクしながらすれ違った。今考えると「柄」がついていたのかも謎である。おびえすぎ。
こんなにも手荷物を傍においておきたかったり無駄に怖がったりするわりにぼ~っとしているので、まっさきに荷物をなくしたり盗まれたり殺されたりするのは私なのかもしれない。
2005年07月29日

見たら脱ぐぞ!?
崖っぷち弱小大学物語
杉山 幸丸
中央公論新社 2004/10
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「おもしろかったよ」と親切にも貸してもらった本。長い間借りているので早く返さないとならない。でももう一冊借りている。怒られるかもしれない。キレられるかもしれない。ちなみに本書は、有名国立大学に在籍し、第一線で活躍していた「研究者」から、非有名私立大学の「人文系学部長」になった著者が直面した厳しい現実を綴ったもの。
<読み終わって思ったこと>
●著者は「教養学部」の必要性をくり返し訴えている。アメリカには「Liberal Arts」、いわゆる教養学部が存在するのだが、日本にも昔はあったようだ。アメリカの大学ではたとえ薬学部に所属していたとしても、芸術(絵を描いたり写真撮ったり焼き物作ったり)や人類学(黒人学とか食と文化とか)の授業などをリストの中から絶対に選択・受講しないと卒業できないようになっている。こういうシステムなので、「もっと勉強したい人は大学院へドウゾ」というスタンスだ。一方日本では、学部生レベルで習得する専門知識が非常に細分化されていて、しかも深い。にもかかわらず特に文系の学生は、その専門知識が就職に生かされないことが多いのではないだろうか。中途半端に専門性を身につけるのなら、社会にでた時に必要な「教養」を身につけさせるべきだ、ということなのだろう。どちらも一長一短な気がするが、前提としてやる気のある人が集まる場所が大学であってほしいものだ。
●著者の人柄がすごく良い。年齢を重ねても常に何かを思い、目標を見つけ、その達成のために学習する姿勢は見習いたい。「あぶら取り紙」が何か知らなかったけど、今はもう完璧に分かっている、分からない人のためにお教えしましょう、という記述はほほえましかった。
●講義をするときに、教室の静寂を保つにはどうすればいいのかと最近良く考える。本書でも紹介されているように、昨今の大学生はなかなかコントロールが難しそうだ。だからといって無法地帯を許すのはまじめな学生に迷惑がかかるし、いつも大声でわめき散らしたり怒ったりするのは静かにしている学生にストレスをかけてしまう。いや、むしろうるさい学生は怒られてもきっと平気なので、まじめな学生の方が嫌な気分になるかもしれない。やる気のない人は来なくてもいいとは思うのだが、最低限「やる気のある人が学べる環境」を維持することは教えるものにとっての義務だと思う。
そこで私は「契約書システム」を思いついた。1回目の授業で契約書を配布し、サインを求める。もし契約書に同意できない場合は、話し合いを行い契約書を改変する。その上で、契約に明らかに違反した行為が講義中に見られたら、その場でサインされた契約書を取り出し、対象となる学生に突きつけ、退出させる。自分でサインしたもの(しかも反論をする機会も与えている)だから、学生もきっとそれを守ろうとするはずだ。甘いだろうか。
●契約書Ver1.0
講義中以下の行為が見られた場合、甲(私)は乙(学生)に対して退出を命ずることができ、乙はそれをすみやかに受け入れなければならない。
講義を妨害するほどの騒音を発生させ、それに対して3回以上の注意を受けながらも、改善が見られない場合。
-雑談
-携帯で会話
-やたら頻繁に教室を出入りする
-おせんべい等を食べる
-飲料をストローでズルズル音を立てて飲む。
正直これくらいだ。腹が減っては戦が出来ないので、腹八分くらいまでなら別になにか食べても良いし、喉が渇いて仕方ないなら飲み物も飲んだっていい。ぼうしをかぶったまま講義を聞くのは失礼だ、という人もいるが、話を聞くこととぼうしをかぶっていることは特に関連がなさそうなので私は気にならない。静寂が守られるようになった時点で、マンガを読んでたり寝てたり、他のことをしている学生をどうにかすることを考えることにしよう。といっても、学生を惹きつけられる講義が出来ているというのが前提にあって然りの契約書であるのは言うまでもない…。さらにそれ以前に、こんな契約書考えなくて良いのが一番だ。
Note : 寝てしまう度は読み終わるまでに私が何回寝たかで算出
(5回以上寝た場合ももう全部☆5つ)
2005年07月27日

センスのない私
最近よく閲覧している今日の覚え書きさんの記事でコレの存在を知ってしまった。私はドット絵が大好きだ。1ピクセルの「.」だけを使った、色のグラデーションなんかも素晴らしいドット絵の大作なんかを見ると感動してしまう。感動した!自分もやってみたい!という単純な思考を経て、私もドット絵に挑戦した時期があった。しかしながら、いかんせんセンスのセの字も持ち合わせていないため、「自分がここにドットを打つと全体がこうなる」的な感覚が一切つかめずあっさり断念した。作れてせいぜいサイコロくらいである。ななめにしたり影をつけたりする時の感じがもう完全にお手上げだ。
昔なつかしのドットキャラたちを実際に自分で作ることができるキットは7月のはじめに発売されたらしい。オフィシャルページは以下より。
幸運なことに自宅から徒歩圏内にトイザラスがある。しかもトイザラス周辺に別の用事もあったので、早速購入してきた。マリオは売り切れ。子供たちが暴れ泣き叫び、やりたい放題する場所トイザラスで、大の大人がひとりゴソゴソと「マリオ」がないか、しゃがんで必死に探す光景はきっと異様にうつっただろう。でも一人遊び大好き人間としては、周囲のことはあまり気にしないのが一番である。DIG DUGとPAC-MANの2セットを手にしてレジに並んだ。
用事をすませて帰宅後、早速遊んでみる。単純におもしろい。作っている最中、全く他の事を考えずにいられるのがよい。私は前述の通り、全体を見る目を持ち合わせていない。したがって、サンプルどおりに(無心状態で)ボチボチとドットピンをさしていくだけで、知らないうちに全体像が出来上がっていく様に快感を覚えた。疲れたときによいかもしれない。
無心でやるのは楽しいが、それだけだと成長できない。私はいつまでたっても全体を見渡せないままということになってしまう。なのでもう1つのセットは、サンプル以外の何かを作ろうと決めた。でも残念なことにセンスは一切ない。激しい葛藤(成長したいと願う私 v.s. 自分の実力を分かっている私)の末に、「そうだ自分のイニシャルを作って、全部あわせたものを研究室に名札っぽく飾ろう」と思い立ち、アルファベットを作成し始めた。ドットで何かを作るとき、一番簡単なのはおそらく数字かアルファベットである。私は折衷案をひねり出すことに成功した。
簡単なはずなのに「うーんうーん」と試行錯誤しながらどうにか完成。どうも「M」がよわっちい感じがするけれど、今の私にとってはこれがMAXパワーである。そのうちドットで何かをつくるイメージが頭の中にわきはじめるのだろうか。ドットを自由自在に操れる人がうらやましい。でもこのセット自体は、センスがなくても、ドットを自由自在に操れなくても、十分楽しめる。
2005年07月26日

のらや(19号店)

【わがままうどん天食:924円】
のらや箕面店
箕面市小野原東3-9-32
0727-26-6888
一度行ったことがあるものの、そこまで思い出がない。しかしネガティブな印象は残ってないし、雰囲気もよかった気がするので、本日再度訪問。ブログは自分が頑張れば頑張るほど、自分の思ったとおりに成長してゆく。それが楽しくて、最近ご飯やさんに行くたびに撮影を敢行しているのだが、どうも周囲の人は引いている気がしなくもない。本日は最近ブログを始めた方と一緒だったので、周りを一切気にせず、構図も色々と考えながら張り切って撮影することができた。
注文した品は、①きつね ②昆布 ③カレー ④ざる ⑤釜揚げ ⑥ぶっかけの6種類のおうどんから一品選択+てんぷら盛り合わせ+黒米おにぎりのセット。私は「ぶっかけ」にしようと心に決めたものの、冷・温のどちらにしようかは決められないでいた。どうにも決まらないので、「こんなこと聞かれても困るよねごめんねごめんね」と思いながら、注文を取りに来てくれた店員さんに「どっちがオススメですか?」と聞いてしまった。すると店員さんは、「うーん…そうですねぇ…温かい方は麺のほうが柔らかめになりますが、冷たいほうだとコシがあります」。素晴らしい。「どちらが良いか」という主観的な回答しか提供できないであろう質問に対して、麺の特徴、すなわち事実を冷静に伝え、私に選択基準を提供することで、丸投げした「選択の責任」をいやみなく返してくれた。私だったら「私は冷たいのが好きですけどねぇ(ヘラヘラ)」とかなんとか答えるのが関の山である。
最終的に私は「冷」を選択。コシがあっていい感じ。ボリュームも満点。同行者は「天ぷら揚げてる油も新しくていいですね」とチェックしていた。そこまで私はチェックできていなかった。
2005年07月24日

ひどい、好きなのに騙された!
「アボカドに醤油をつけて食べるとマグロの味がする」
果たして正解かどうかは分からない。でもちょっぴり当たっている気がしなくもない。
アメリカ(北西部:海なし)にいる時にアボカドが好きになったのは、マグロへの想いゆえかもしれない。ワカモレディップにTortilla Chips なんて最高。アボカド入りのカリフォルニア・ロールもよく食べていた。そういえば、アメリカ人は真っ黒な「海苔」でライスが巻かれているのにいわれもない恐怖を感じるらしい。ゆえにカリフォルニア・ロールにはゴマが周囲にあしらわれ、海苔は内側に、具材と一緒に巻かれているのだそうだ。邪道といわれれば邪道かもしれない。「巻き寿司」の概念が完全に破壊されている。しかし擁護派の私は、「じゃぁ日本人の大好きなたらこスパゲティは、イタリア人にとったら邪道になるかもね!ふんっ。」とか何とか言いがかりをつけて断固戦うつもりでいる。料理の仕方は、自分達の文化にあったように工夫して変えてしまえばよいのだ。ただし、妹が好きでよく作っているらしいと母親づたいに聞いた「マグロ丼」ならぬ「アボカド丼」は、理解に苦しむ。いくらなんでもそこまでアボカドに全てを任せてはいられない。
最近アボカドをスーパーでよく目にするようになった。うーんおいしそう、と思いながら何を血迷ったのか、青々とした、指で押してもびくともしないやつを買い物かごに投入、そのまま購入してしまったのだ。そして帰宅後ぼ~っと皮をむこうとすると、全く太刀打ちできないではないか。本来ならみかんの皮みたいにするする剥けるはずなのに…とここまでやってようやく気づいた。そうだ食べごろのアボカドは表皮がほとんど黒色で、指で押すと柔らかいのだった。いつもの野菜やらバナナやらを選ぶ感覚でついついアボカドに騙された。といっても当のアボカドに騙すつもりは毛頭ない。騙された私が悪いのだ。
もう騙されるものかと、次はきっちり真っ黒なアボカドを手に取り、一緒にまぜ合わせようとタコとトマトも購入。頭の中にドレッシングのイメージがイマイチわかない状態で、なんとなく作ってみた。「醤油をつけるとマグロ」なので、醤油は入れておきたい。でも和風っぽくなりすぎるのも違う気がする。そんな見切り発車のレシピを以下にメモ。
2005年07月23日

好きなものを好きな理由
嫌いな食べ物には何故嫌いなのか、理由がある場合が多い。例えば私はハチミツが嫌いなのだが、その理由は「何で刺してくるハチの作ったミツを食べないといけないのか」と、「メープルシロップのほうがオイシイではないか」の2点である。レバーや砂肝なども好きではない。理由は「においも味もおかしい」に集約される。それでもごくまれに、全部食べられないのをぼんやりと認識した上で、「前歯でカリッ」くらいの量を食べてみたい時がある。そういう時は好き嫌いのない人の横に座り、あらかじめ「ねぇねぇもし私が全部食べられなかったら残りを食べてくれますでしょうか」というお願いを承諾してもらった後に挑戦することにしている。意外においしかったりすると、知らんぷりを決め込み、ちゃっかり全部食べてしまう。
ところで好きなものはどうだろう。嫌いな場合はその理由を人から聞かれることが多いため、自分なりの理由付けがすぐに出来るかもしれないが、好きな食べ物がどうして好きなのか、実はよくわかっていなかったりする。これは食べ物に限ったことではないのかもしれない。
私はどうやらナスが好きで仕方ないようだ。しかしながら、なぜ好きなのか、どうも理由がわからない。なのでちょっと考えてみた。その結果、おそらく私はナスの食感が好きなのだという考えに至った。野菜のシャキシャキ感と、調理後のしっとり感が混在しているような状態がたまらない。この2つの調和が大切なゆえに、調理していないナスは「シャキシャキ感」のみしか感じられず結果として不思議な気分になる。なぜ好きなのか、ひとまず理由が判明してすっきりした。
最近冷蔵庫にはナスがほぼ常備されている。今日はバジル&トマトソースがあったのでナスのチーズ焼きを作ってみた。以下に料理レシピメモ。簡単。
2005年07月22日

中国人民元切り上げ
「人民元そろそろ切りあがるらしい」との情報は持っていたのだが、資金など持っている筈もなく、中国元預金口座を作ることは出来なかった。もしあの時、1億円くらい資金があって、それを全投入していたら…などと、とらぬ狸の皮算用をするのはいつものことである。
実際、切り上げといっても2%にすぎない。1ドル=8.2765元から、1ドル=8.1100元になったところで、1元13円程度。旅行などでは切り上げの影響をほとんど受けることはないと思われる。中国の人民元については以下が詳しい。
中国情報局ニュース 人民元:通貨バスケット制へ移行、実質2%切り上げ
中国は広い。そして都市部と農村部の経済格差は国土の広さに比例するがごとく大きい。このあたりが、諸外国(特にアメリカ)の通貨とのパワーバランスを保とうとするときに問題になってくるのだろう。
ところで日本がイージス艦をアメリカから購入するため円高になる、との情報の真偽はいかほどだったのだろうか。中国には当分行くことがなさそうなので、今はドル為替レートの方が気になる。気になる、などと言いながら、単純な私は円の強弱に関係なく、ドルには2つゼロをつけてそれを脳内為替レートとしている場合がほとんどだ。20ドルは2000円。59ドル99セントは5999円。そしていつも後で泣きそうになる。脳内為替レートの補正は、私の認知容量の少なさからも難しいだろう。実際の為替レートが脳内のそれに近づくことを望むしかない。
2005年07月21日

1口コンロ族の憂鬱
一人暮らしで困ることの1つにコンロが1口しかないというのがある。なにも一人暮らしの人全員コンロが1口なワケではないのだが、率にするとかなり高めだと思われる。料理において「効率」を重視する私にとって、コンロ1つでパスタを作る流れが固まるまで、様々な試行錯誤があった。コンロが2つありさえすれば、パスタを茹でながら具材(?)を調理できるので、実質「お湯が沸騰するまでの時間+パスタを茹でる時間」で全てが完結するはずなのだ。なのに1つだとそれが出来ない。これは大問題。
二人くらいの一人暮らしコンロ1口族に聞いてみたところ、
①お湯を沸騰させてパスタをしばらく茹でた後、②そのままの状態で鍋をコンロから移動させ、③予熱で茹だっている間に具材の調理をするらしい。これをはじめて聞いたときは画期的だった。でも、私はどうも①から②へと移行するタイミングが分からない。2分?3分?その上、私の場合は同じメニューでも具材を調理する時間が絶対一定ではない。マニュアル人間なので、「茹で時間7分」と書かれていたら、タイマーできっちり測ってしまう。実験をして最適時間を算出するのもいいのだが、いかんせんめんどくさがり屋なので無理だ。
そういうことで、私がここ最近一番よく作っているパスタについて、1口コンロでの作り方をまじえて以下にメモ。
2005年07月20日

顔占いやってみた

【自己認知による私の顔。悲惨。】
私は典型的な幸薄顔だ。色々と修正したい顔のパーツは山ほどある。ほとんど全てといっても過言ではない。ただし、こんな私でも1つだけよくポジティブな評価を受ける部分がある。それは顔の大きさ。どうやら顔は小さいらしい。しかしながら、私の友達には激しく顔の小さい半分モデルみたいな人もいるし、妹も私より顔が小さい。けんかをした時など、私はよく妹の顔を片手でつかんで鼻をつぶして嫌がらせをしていた。彼女はだんごっぱなを非常に気にしているので、この攻撃手法はかなり強い精神的ダメージを与えることができるのだ(さすがにもういい大人同士なのでやらないが)。小顔が周囲にいるので、自分で「私って顔が小さい」とはあまり思わないのだが、それでもそう言ってもらえるとちょっぴりうれしかったりする。
今日の覚書さんの「かお占い」のエントリーを見つけて、早速私もやってみた。上記画像が私による私の顔描写。ちなみにかお占いのページは
かお占い から。
このサイトでは、あらかじめ何種類か用意されている顔のパーツを、伸縮、回転、移動の3つのボタンで変形させて自分の顔を作っていく。顔型も何点か用意されていた。幸薄顔の土台をせっせと作った後、少し誇らしげに顔の大きさを「伸縮」させようとしたのだが、なななななんと出来ないではないか!「他のパーツは全部伸縮できるのになんでープンスカ!」と一人地団太を踏みつつも、占いはやってみたい。おでこの広さにいささか納得いかないが、ひとまず占ってみた。
結果はどうやら平均的な感じ。中庸主義の私としては、比較的満足のできるグラフだ。へぇ~そうなんだ~としばらく感心していたが、一緒に表示された文章を見て「かお占いなんて信じちゃダメだダメだダメだ!」と思った。
よく考えてから行動するタイプです。要領がよく、好きな異性にもさりげなく近づいていきます。内面の感情はとても複雑で、急に怒りっぽくなることもあるようです。よく考えてから行動する人間は、多分何事にも無頓着ではないし、金銭面に関してもルーズではない。
おおらかで、何事も無頓着。金銭面に関しては多少ルーズなようです。
興味深々で占い挑戦⇒結果を見てひとしきり感慨にふける⇒感慨にふけるなんてダメだ!と思い始める⇒論理的矛盾を無理矢理見つけ、占いの結果を信じないことにする⇒でもやっぱり気になる
最近の私はもっぱらこの流れ通りの行動をとっている。占いの持つ説得力なんて、所詮バーナム効果に過ぎない。でも、わかっちゃいるけどやめられない。
2005年07月19日

だめ男の8つの特徴
だめんず・うぉ~か~ (7)
倉田 真由美
扶桑社 2004/08
Amazon.co.jp
友人からの推薦で読み始め、しばらくはまっていたのだがそのうち熱は冷めてしまっていた。しかしながら最近まただめんずブームがきている。①~⑤は既読、本屋さんにそれ以降の巻を探しに行くと⑦⑧しか売ってなかったのでひとまず2冊購入し、⑦を読み終わった。今回もレベルの高いだめんずが一杯…。
<読み終わって思ったこと>
●だめんず・うぉ~か~を読むたびに、「世の中こんなすごいことってあるんだな~…」と感服してしまう。客観的に見ると完全に騙されていたりドツボにはまっていたりするのが手に取るように分かるのだろうが、自分が当事者になるとまた違うのだろう。鳥瞰図に示されるような広い視野を持つことが、だめんずから抜け出す一歩なのかもしれない。
●巻末に掲載されている、社民党党首・福島瑞穂氏と著者くらたまのだめんず対談は読みごたえがあった。福島氏の経験論に基づくDV男の8つの特徴:①ウソつきである ②二重人格である ③自己中心的である ④性差別主義者である ⑤現実に直面しない ⑥反省しない ⑦気が小さい ⑧自信がない (Pp167) は、かなり説得力がある。いろんな種類のダメ男にも通じるものがあるのではなかろうか。ぶるぶる。
●「やさしくない男の人なんて、生きている意味がない」と先日某才色兼備さんが発言していたのだが、彼女は絶対にダメ男にはひっかからないだろう。そして彼女の言っていることは正しい。くらたまも言うとおり、「やさしさと度量とおもいやり」は大切だ。
Note : 寝てしまう度は読み終わるまでに私が何回寝たかで算出
(5回以上寝た場合ももう全部☆5つ)
2005年07月18日

意外と良かった「エピソード3」
Star Wars Episode III: Revenge of the Sith
スターウォーズ エピソード3 シスの復讐
Lucasfilm Ltd. & TM
2005/7/9~
見る予定ではなかったのだが、「意外と良いらしいヨ」とのことで鑑賞決定。前日にスケジュールが決まったものの、EpisodeIIを見ていない。「やばくない?」と不安になり、「明日までに各自エピソード2について学習してくること」という約束をする。ストーリーが掲載されているサイトはすぐに見つかったのだが、なんかあらすじが長い。たくさん読んだ気がするわりに、見る直前まで頭の中に残っていたことは、
・アミダラとパドメは同一人物。
・アナキンのお母さんはワルモノに殺されて、怒ったアナキンが暴れた。
⇒ジェダイのくせに暴れるなんてと若干不安を抱く師匠のオビ・ワン
・ジェダイは結婚したらダメらしい。
・結婚したらダメなのにパドメとアナキンはコッソリ結婚した。
以上の4点である。そして今回のテーマはCMなどでアナキンがダース・ベイダーになる過程であることもぼんやりと知っていた。"You are a good person, don't do this"のフレーズがやけに頭に残っている。
映画館に席をとりにいくと、モニターに「残り9席」と表示されていた。そして残っている席は最前列のみ。仕方ないので最前列で見ることに。ちなみに写真はダース・ベイダーのボイスチェンジャー。
<見終わって思ったこと>
●戦闘シーンではジェットコースターに乗っているような感じで目がまわった。近すぎ。最初はかなりきつかったが、話が進むにつれてあまり気にならなくなった。でも画面全体を把握することはできずじまい。やむなし。
●いろんな意味での私の大テーマである「因果関係」についてかなり考えさせられた。原因はいつまで遡れば「これが原因だった」と言い切れるのだろう。そして原因が分からずに結果のみを先に見てしまうことが、見てしまった結果の原因を引き起こすなんてことは実際に起こるのだろうか。でもストーリーはよくできていた。
●4、5、6がかなり昔に作られていることから、終盤では昔に作った4との整合性をつけるのに苦労したのではないだろうか。それまでは結構近代的なCGが使われていたのに、ダースベイダー誕生の際、胸のところに配置されているボタンとかがアナログ仕様でちょっと笑ってしまった。働いている人間たちの服装もいきなり日本兵みたいになっていて不思議な感じ。ただし、画面の切り替えのテクニックを昔から変えないでいたことは良かったと思う。
【2005年度映画暫定1位:Hitch】
注:鑑賞数=5
付け焼刃的な学習では、結局全体としてのつながりが分からなかった。特に「シス」。シス卿とか暗黒卿とか、ダークサイドとジェダイの関係とか、もうサッパリ。鑑賞後は珍しくちょっと反省し、M君とシスの復習を誓い合ってお開き。

la BOTTE PICCOLA

【茄子のサラダ:値段不明】
ピッツェリアリストランテ ラ・ボッテ・ピッコラ 梅田イーマ店
大阪市北区梅田1-12-6 イーマ6F
06-4795-7510
映画を見る前に、腹ごしらえ。7月のオススメが茄子となっていたので、茄子のサラダを前菜としてオーダー。オーダーは友人Mくんが適当にしてくれる。行動がちゃきちゃきしているので非常に楽だ。思うにお互い人の話をあまり聞いてないのがいいのだろう。私は茄子好きなので、サラダを楽しみにしていてたのだが、予想に反して茄子が生だった。人生においてはじめて茄子を生で食した。あまり味がしない。やっぱりオリーブオイルで焼くか、焼きなすっぽくしたほうが茄子はおいしい。でも、ドレッシングはしっかり絡んでいてよかった。
茄子があまりにも無味なので、一緒に入っていたチーズとともに口に運ぶ。もぎたての茄子とかを川の水にさらし、冷えたところにかぶりつく、というような光景に見覚えがあったりするわけだが、実際e-maの6Fではそのような風流なイメージもわかず。かぶりつき生茄子がおいしいのは、その場の雰囲気が大きく貢献しているのではないだろうか。
次にパスタ。パスタは「タリアテッレ」という平たいやつ。「たりあてっれ」とか言われても分からないので、「たりあてっれってどんなんどんなん?」とか言いながらメニューで判断。ちなみにメニューは、確か「カボチャとパンチェッタのタリアテッレ」みたいな感じになっていて、「パンチェッタ」も分からなかった。でも「タリアテッレ」と同様にして、写真付メニューによりベーコンであることが判明。今調べてみると、塩味の強いイタリア式生ベーコンらしい。なるほど。
パスタは今までに食べたことのない味。もともと甘めのクリーム仕立てのソースにカボチャの甘みが加わって、独特の風味をかもし出していた。ベーコンの食感とカボチャの食感、そしてタリアテッレにソースがたっぷりついてくる感じが絶妙。
最後はトマトソースベースのピザ。名前はよく分からずじまいだったけど、味は想像通りな感じ。お店のお兄さんが目の前でピザをカットしてくれるシステム。そのシステム実行中に、サラミがテーブルの上に飛び出すというエラーが発生した。お兄さんは「今からサラミをのせなおしてちょっと焼いてきましょうか?」と言ってくれたのだが、正直「ではお願いします」という人がいるかが疑問だ。お兄さんは酷く気にしていたらしく、お会計の時にも謝っていた。私と友人Mくんはサラミが飛んでいったことなど当に忘れていた。
以上3品で結構満腹。この後まい泉のカツサンドを食べようと企んだ上でのメニュー選択だったのだが、目測を見誤った。お腹がすいていると、色々な面において正確な判断ができなくなる。「腹が減っては戦ができぬ」も、きっとそのうちの1つである。
2005年07月16日

せんりや(焼き肉)

【もがみ:3800円(多分)】
和牛屋敷せんりや
大阪府吹田市山田西2-7-11(阪急千里線山田駅 車5分)
06-6816-2941
BSE問題など輸入牛での生業が難しくなってきている昨今の焼き肉屋事情もどこ吹く風(勝手に)、和牛のみを扱う全席個室&掘りごたつの焼き肉やさん。牛角的なチェーン店よりは1、2レベル上な予感だが、かといって驚くほどの値段でもない。女子4人で楽しむ。
お肉はどこの部位でも柔らかく、食べていて幸せ。特に牛タンは最高。よーく考えたら、牛のベロを食べているわけなのだが、そんな風に「よく考える」暇も与えないほどにおいしい。おいしかったらなんでもいいやーと思わざるを得ないほど。ここで絶対私が注文するのは、「石焼チーズビビンバ(980円)」。チーズの量が結構多く、出された時は上にそのままかかっているのだが、ぐるぐるとかき混ぜたらすぐにとろ~ととけてご飯と絶妙に絡み合う感じ。スープをちょっとかけていただく。
最後はデザートと温かいとうもろこし茶がサービスでついてくるので、絶対にお願いすること。ちなみにここで働いている女性のスタッフはベッピンが多い。4人で「絶対3以上だよね」「いや、3.5ちゃう?」「もちろん5件法やんな?」とヒソヒソとやり取りしながら、大満足でお会計。一人4000円くらいが予算(含飲酒)。

京都祇園祭に行ってみた
大阪に住み始めて4年。今年ついに京都の祇園祭に行ってきた。スケジュール的には宵宵山と呼ばれる日だったらしく、山鉾と呼ばれるおみこしのようなものが所定の位置にどっしりと構えていた。私は方向音痴なので、事前に京都通に「ねぇねぇ祇園祭行ってみようと京都に向かって駅降りたところから迷わずにヤマボッコ(だと思っていた)を見れるもの?」と聞いてみた。すると「大丈夫」とのお返事。安心して京都に向かった。
烏丸駅で下車、地上に上がってみると、いきなり写真の山鉾が。ホントだこれはさすがの私も迷わない。いつも狭苦しそうに車が走っている道が完全に歩行者天国になっている。すごーい!と興奮して写真をひとしきり撮った後は、駅を下りた瞬間から香ってきていた屋台臭に向かって突き進む。
基本的に「屋台」には目新しいものはない。むしろイカ焼き、たこ焼き、カキ氷、とうもろこし、フランクフルトのように、目新しくないからこそ屋台だとも言える。どの店も、茶髪のお姉ちゃんかお兄ちゃんか、それとも恐持てのおっちゃんを配置している。その中で光っていたのが、写真のたこ焼きやさん。
本物に決まっている。これなら信用できる。よしここでたこ焼きを買おう。と全員一致でこのおじちゃんたちからたこ焼きを購入。感想は「大きくてモチモチしていて非常に熱かった」。
どの店も特に代わり映えがない場合、私たちは何を手がかりにして商品を買う店を選択するのだろうと一瞬考えてみた。「偶然」で50%は説明できそうだ。でも「売っている人」だって7%くらいはある気がする。
適当にふらふらと楽しんでいると、「綾傘鉾」という鉾に遭遇する。綾小路通を歩いていたようだ。そこで厄除け・縁結びの「ちまき」を売っていた。お約束かもしれないが、はじめは食べられると思っていた。残念ながら食べられなかったが、「綾」なんてステキ、と思い1つ購入。縁結びより厄除けが今の私には大切だ。1年たったらちゃんと神社に帰さないとダメよ、と注意を受けて、うちわももらい(写真参照)大満足。
ちまきが入っている紙袋の裏面に、綾傘鉾の由来が書かれていたので読んでみた。すると、元治元年の大火で大部分を消失するも、昭和54年から再び巡行することになった、とのこと。1979年に再開された綾傘鉾とは、なんてステキなの、と思いつつ祇園祭体験は終了。
帰りの電車で、手術の時にお医者さんがするような手袋を両手にはめ、大きな荷物を抱えている挙動不審なおじさんがウロウロと車両を移動しつつ、最終的に目の前に座った。私の命もここまでか、と観念したが(荷物が爆弾だった場合)、2駅通過したところで別の車両に移っていった。助かった。ちまきが早速私を守ってくれたようだ。今後もかなり期待大である。
2005年07月13日

細木数子論が崩れ去った時
私は2年ほど前(つまりテレビでよく見かけるようになった頃)から、細木数子の猛烈な信者となっていた。ちょっと古きよき日本的な思想の持ち主だし、強引にあの目できついことを言われると、なんだか信用してしまう。単純だからそういうのにすぐ騙されてしまうのだ。私は金星人マイナスで、昨年から大殺界。今年は大殺界中の大殺界。しかも月運まで「停止」になる9月はかなり危険だ。去年の大殺界1年目の9月が結構酷かったので、最近までかなり細木数子信者だった。
しかし、しかしである。とうとう彼女の論理が破綻していることに気づいてしまった。それは以下の記述に集約される。
大殺界のときに活躍したり、また地位が向上したりしたとしても、最終的に大成できないばかりか、何らかの理由でその途上で挫折や断念を余儀なくされるのが「六星占術」の法則です。(平成17年度版:六星占術による金星人の運命Pp.22)
細木数子は1年に1冊各星人ごとに「その年」の運勢を占う本を出している。つまりロジックとしては、1年ごとに、また月ごとにどのような運勢なのかを占う、もしくは予測するのだという視点が前提となる。ゆえに、大殺界のときに活躍したり、ポジティブなフィードバックが戻ってくるような事象を経験するということ自体、あってはならないのである。ましてやその後の「達成」や「立夏」などの年に、以前の大殺界の影響を受けてネガティブな経験をするなんて、もってのほかである。それでは六星占術(少なくとも1年1冊出版の本)が「1年を単位とする」ことを否定することになる。
もしこのような因果関係を仮定するのであれば、12年間(六星占術でいう運命周期の単位)で1冊の本を出すべきなのだ。
ものごとの因果関係は、結局は当事者の認知のしやすさや都合のよさによって決定されることが多い。今、自分にとってネガティブな出来事が起こったとして、その原因を探っていく時、「大殺界のあの時のアレか!」という帰属をするように誘導されるのであれば、いくらでも誘導されてしまうであろう。でも、そういう帰属をするよりは、もっと直近の事象に原因を求めるほうがはるかにリーズナブルであるように思う。
例えば、自分の子供が犯罪を犯したとすると、「育て方に問題があった」ことに原因を求めるほうが、「あの人と結婚して子供を産んだ」ことに原因を求めるよりはるかに説明率が高いのではないかということだ。もっと遡ろうとすれば「あの日あの時あの場所で君に逢わなかったら~」まで遡れてしまう。そうするともう何がなんだか分からなくなってしまう。
さらにさらに、細木数子は誕生日で6つの類型に人を分類する。プラス、マイナスを入れると12カテゴリーだ。これは、実は星座のカテゴリー数と一緒。同じ12カテゴリーなのに、星座より数子を信じがちなのは、分類される過程が複雑だからだと考えられる。でもいくら複雑といったところで、人間を12カテゴリーに分類すること自体は星座と全く同じである。
細木数子敗れたり!などと勝手に妄想がふくらんで勝手に勝利したつもりでいるのだが、またテレビで「ほんとのこといっていい?」「あんた地獄に落ちるよ」などという数子の威圧的な発言と自信たっぷりの表情を目にしてしまうと、手元にある「17年度金星人の運命」をパラパラめくって自分の運勢を必死に確認するに決まっている。そして次の日、周囲の人に「聞いて聞いて昨日数子がね数子がね」とおしゃべりするだろう。論理的か否かは置いておいて、発言している人のバックグラウンドや特徴は、説得的コミュニケーションにおいて絶大な影響力をもっている。やっぱり勝てていないのかもしれない。
2005年07月09日

一人遊びが得意な私
私は一人遊びが得意だ。ずっと家に引きこもっていろと言われると発狂すると思うが、雨の日はたいがい家に引きこもっている。引きこもり中はDVDを見たり本を読んだり食べたり寝たり。気づいたらあっという間に時間が過ぎてゆく。そして今日も何をしていたんだろうという思いが頭をかけめぐる。
そんな私が今日した一人遊びは7月5日から始まったローソンのカレーパン対決。カレーパン好きの私としては無視なんて到底できない。気になっていたので本日早速ローソンへ。ペプシのスターウォーズキャップも若干集め気味なので、それも買おうと思ったのにななななんと売ってなかった。どういうことだろう。ともあれカレーパンは無事購入。
帰宅後、対決は明日にしようかと思いながらも、カレーパン2つを目の前にした私の気持ちは高まるばかり。もう今日中にヤッてしまおうと心に決める。

デハラさんとこのブログ
同じ高校を卒業したということで、私の栄光浴の対象に確実になっている人がフィギュアイラストレーターのデハラさん。地元での個展にも行ったことがあるけれど、通常1月中旬に開催されるのでなかなかスケジュールがあわない。大阪での個展には一度行ったことがあり、その際はちゃっかりイラスト付サインをもらった。
デハラさんのフィギュアがおもしろいのは、一見するとカラフルでかわいらしいのに、近づくとかなり毒々しく、ぎょっとするという、ギャップにあるような気がする。特に私が好きなのは一つ一つのフィギュアについているへんてこな名前とカバーストーリーだ。地場産コレクションの「カツオ漁師の元吉さん」とかかなりつぼにはまった。「最近光っていない」というカバーストーリーが添えられた蛍烏賊も良かった。
そんなデハラさんのサイトの「お日記」ページが1ヶ月ほど前からブログに移行している。
デハラさんの日記はかなり破廉恥(まさにこの表現がうってつけな感じ)だったり自分の醜態を赤裸々に綴ったりしているので、読んでいるとある意味感動を覚える。ここまで正々堂々と自分をさらけ出すなんて、スゴイ。
ブログになってもその勢いはとどまるところを知らない予感。そう予感せざるをえないのが6月6日のエントリー。どうやらソニンと対談したようだ。それはスゴイ。ちなみにソニンとデハラさん(と私)は同郷だ。でも、それにもましてスゴイのはEEジャンプのユウキになりすまして写真をとっていることだ。よくこんなこと思いつくなと感動する。
デハラさんは国内外での個展(とメンペ)が主な活動の場のような感じではあるが、タワレコとかナイキとかのお仕事もやっているし、本の装丁もたくさんしている。私の野望は、いつか本を出版するような、人生においてそれが起こる確率は極めて低いと知りつつもそんな事象に偶然にも出くわした時、デハラさんに装丁を頼むことだw
ひとまず7月16日発売のモノマガジンは確実に立ち読みか、場合によっては購入すること決定。忘れないように。
2005年07月07日

バーゲンで得たもの
若干乗り遅れ感はあったのだが,先日夏のバーゲンに行ってきた。用事もあったし疲れるので、ピンポイント攻撃を計画、マークジェイコブス@大丸梅田店へ。最近夏らしい薄い色の服が欲しいと思っていたこともあり、早速19000円が12000くらいになっていたベージュのパンツを試着。良かった何とか入った。購入決定。
その後店内を探索した結果、ワゴンセールに的を絞る。かなり荒らされていたのだが、奥のほうまで一心不乱にお得商品を探した。じっくり探して七部丈Tシャツ(12000→3000)と、ピンクのキャミソール(元値不明ながらも1500)を発見。いずれも今年のものではなくちょっと古いから激安になっているらしい。私はそれほど最新であることにこだわらないので、購入決定。
これでひとまずピンポイント攻撃終了。バーゲンではいくら得したかが全てだ。2000円の商品が50%OFFで1000円になっていたところで、所詮1000円しか得しないんだ、ということに気づいたのは4,5年前(算数ができないため気づくのが遅れた)。それ以降、私はちょっと高めの商品を激安価格にて購入するのにこっている。
お店でお金を払うときの雑談で「今日はお仕事おやすみですか?」と聞かれた。ここ最近急速に同じような質問をされるようになった。しばらく前まで「学校」だったのに…。おばちゃんになってしまっている。ショックな出来事その1。
大丸へ向かう途中、音楽を聴いているにもかかわらずキャッチに声をかけられる。「すみません阪急って…」と話しかけてきた(たぶん)ので、迷子さんかと思って音楽を聴くのをやめて目を合わすと、「あ、ナンパとかそういうんじゃないんやんか~・・・」。その瞬間一気に不快感を表出すると「あ、時間ないですか?」とある意味助け舟が出たので「あぁはい急いでます」。で開放された。ショックな出来事その2。
大丸からの帰り、またキャッチ。近寄ってきて話しかけられたけど完全無視で通過。ショックな出来事その3。
これらショックな出来事を総合すると、「私は老けていて簡単にキャッチに引っかかりそうな田舎臭い人です」ということになる。お得な買い物ができたのだが、お金で買えない、いらないものまで得てしまった。
2005年07月03日

美人で性格良すぎるエルメス
電車男
東宝・フジテレビジョン
2005/6/4~
流行っているということで、本は読んでいた。映画もなんとなく見たくはあったのだが、私の中では映画とドラマの真ん中あたりの価値付けだったので、普通にお金を出してみるのはもったいないなぁなどと思っていたとき、たまたま誘われたので鑑賞決定。そのたまたまだと思っていた日が、きっちり7月1日。毎月1日は映画1000円デー。
<見終わって思ったこと>
●1ヶ月で撮影したわりには、全体的に良くできていた。思いのほかキャストが素晴らしく、とくに大杉蓮は最高だった。エルメスの友人役の西田尚美も良かった。私は西田尚美大好きだ。さらには国仲涼子と山田孝之のちゅらさんつながりにも笑った。でもやっぱり1000円で見るからこそ満足できる映画というかドラマ。秋葉原でばったり会って感動のフィナーレへ…のくだりは感動できなかった。全体がネタだと思うと非常に楽しく鑑賞できる。
●あんなに美しくて性格も良くて豪邸に住んでいることも珍しいし、ちょっと身なりを整えて散髪しただけで普通の感じになるオタク青年も珍しい。それにしても電車男の部屋に飾られているフィギュアやアニメ系の切り抜きとかのヤバさ加減が、知識のなさからあまり理解できず悔しかった。エヴァンゲリオンとスターウォーズのフィギュアしか分からなかった。無念。
●百式Tシャツの首周りがダルダルになった感じは非常にリアルだった。しかしながら、百式ダルダルTシャツで外出は微妙なものの、家にいる分には問題なし。オタクじゃなくても着てそうに思った。私も家ではKishidenne Wrerutogood Tシャツを着てゴロゴロしている。むしろ引きこもり青年役の瑛太の服装のほうがリアルな感じ。いずれにせよ、白いソックスが見え隠れするほどのズボン丈と、今にも走り出しそうな、本気っぽい白スニーカーと、背中に張り付いているかのような、パンパンにふくれたリュックは、私の中で「オタク3種の神器」として定義づけされている。
【2005年度映画暫定1位:Hitch】
注:鑑賞数=4
2005年07月01日

足の裏に画びょうが刺さった!
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【足の裏にがびょう】
ほんの20分ほど前、ちょっとした作業をしている最中に足の裏に画びょうが刺さった。天井から固定されていた蚊帳のようなものを撤去するために、固定に使用していた画びょうを取り除いていたのだ。すると、たまたま天井から落ちた画びょうの上に、たまたま私が足を置いて、「ちくっ」「…?…!!!」「ぎえ~!」である。
力いっぱい刺さっていたわけではないので、「えい!」と自分で引き抜き、私の中では「痛かったなぁ~も~!」で終了していた。その後ふと自分が立っていた場所を見ると、なななななんと血液がこんもりと付いているではないか。急いで足の裏をみると、予想外に出血していた。「あー血が出てる~」とつぶやくと、周りの人が心配してたくさん絆創膏をくれた。絆創膏は1つで十分だったのだけど優しい人達だ。
と、こういう感じで一連の出血事件が終わったのだが、その後「あんなに血が出てたのに、全然騒がないね」と不思議がられた。そういえば以前にも同じようなことを言われた経験がある。私は怪我したときとか痛いときにあまり騒がない。騒ぐと周囲がパニックになってしまうんじゃないかと思うのと、騒いで痛みが和らぐなら力いっぱいそうするが、そうでもないから静かにしているのだ。
ふと考えると、中学生のときに右手首を骨折したときもそうだった。はじめは折れていることに気付かず普通にしていて、「あーいたかった」と右手を見ると、ありえない方向に手が向いていた。隣にいた友人に「ねぇねぇ、この手おかしくない?ほら」と見せたら、友人が逆に大慌てして「ほほほほ、保健室行った方がいいって!」。保健室に行くと、「あかん貧血起こしてる!ここに寝て!」と先生も大慌て。タクシーで病院に向かい、ちょっとした手術(曲がった骨をまっすぐにする。ワキから麻酔。)をして1日入院した。
自分で絆創膏を貼っているとき、「たまたま天井から落ちた画びょうの上に、たまたま足を

日本の大学生は、確かにやる気がなくても「なんとなくみんな行くみたいだから」という理由で大学に行くことを決めたりすることが多い気がする。先日電車に乗ったとき、阪神タイガースのベースボールキャップをかぶり、黄緑の蛍光色Tシャツにデニムのハーフパンツ、そして「キリン氷結果汁」を片手にした外国人(後にテキサス州出身のアメリカ人と判明)を発見した。げげげと思いながらも向かい側の少し離れた席に座っていたところ、数駅通過したところでちょっと知り合い風の別の外国人(後にブラジル人と判明)が乗車。アメリカ人の向かいの席に座った。そこから席を隔てた大声トークが始まった。
あまりに声が大きすぎて聞き耳イヤーを立てたワケじゃないのに勝手に聞こえてきてしまった。どうやらその一見アブナイアメリカ人は4つの大学で英語を教えている講師のようだ。学生の様子をブラジル人から聞かれたとき、「4つのうち3つはいいけど、残り1つは…」と話していた。「なんで大学に来ているのか分からない」「私の1年生用のクラスにもいるし、2年生用のクラスにもいる学生がいる」「単位を落とした学生は、再履修の時は少しは勉強する。"enough to pass"レベルの勉強をね…」とか文句を言っていた。16時ごろの電車内で、一人飲酒する大学英語講師とやる気のない日本人大学生…。いろんな意味で心配になった。ちなみに写真は、とある大学生たちが提出物に描いた落書きである。クーがちょっとアカデミックな感じにアレンジされているのがおもしろいが、見た瞬間私がこのクーみたいになってしまった。そして2つ目の落書きは、威嚇しているもののほとんど脱いでしまっている。ダメかもしれないが笑ってしまった。ただし、今はまだあくまで他人事。自分が描かれたら笑えないかもしれない。描きたい気持ちは分からなくもないが、ここはひとつぐっとこらえて欲しいものだ。






